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僕はゴミ屋敷の住人(経緯編)

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僕はゴミ屋敷の住人(経緯編)

いまから20年以上前、僕の小学生の頃の話です。 忘れかけていた当時の生活を思い出しました。 とくに結論のある話ではありません。

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桐谷さんのお宅はゴミ屋敷

「月曜からから夜ふかし」に登場する桐谷さんという個性の強い投資家さんがいます。 img_4b2bcb59ad818d625486572cc476684a196089-99d54 たまたまテレビでやってたので見たのですが、桐谷さんのご自宅は株主優待に関連するものや将棋の資料、新聞や雑誌の切り抜きなどが多数ありました。 その量はご本人が整理できない程で、足元がモノで埋まっていることから誰が見てもゴミ屋敷といえるほどのお宅でした。

彼女は引いていた

かくいう僕も小学校の頃、桐谷さん以上のゴミ屋敷に住んでいたことがあります。 「僕も昔住んでいた家はこれくらいかそれ以上のゴミ屋敷だったよ」と テレビを見ながら彼女に言うと、それまでにこやかにテレビを見ていたのですが「え…」と若干引いてしました。 いまでもそんなに掃除が得意ではない僕はテレビを見ながら昔住んでいたゴミ屋敷を思い出し始めました。

ごみ屋敷になったいきさつを思い出す

僕の母親はシングルマザーで水商売の仕事をしながら僕と弟の2人を育てていました。 母親は東北地方の出身で、夫婦関係の問題か何かで家を出て、僕達が保育園に通うころに温泉地に引っ越してきました。 当時住んでいた家はこの頃から物が散乱していた記憶があり、友達と遊ぶときはいつも外か友達の家でした。 母は夜の仕事のため、夕方になると知り合いのところへ預けられます。 東北地方の頃の思い出は全く無いため、どんな暮らしぶりだったかは解りません。

きれいな家になる

PPP_shitamachinorojiura500-thumb-500x750-327 その後、僕が小学校に入学するタイミングで別の温泉地へ引っ越します。 ここでは、今で言うシッターさんのようなおばあさん「つちやのおばさん」が家に来てくれて面倒を見てくれました。 つちやのおばさんは僕が小学校低学年の頃、いつも夕方頃に来て、食事や掃除、洗濯などの家事をしてくれていました。 つちやのおばさんは家事のほか山菜採りにも連れて行ってくれた覚えがあります。

学校の通学路にゴミ屋敷

trashhouse1_2 住んでいた立場からするとゴミ屋敷(というか家主)にも趣向があるかと思います。 小学校の通学路に古い木造の建物のゴミ屋敷があったのですが、家の外に電化製品や鍋などの調理器具などが置かれ、モノが外に溢れている状態でした。 見る限りゴミ捨て場にあったものを持ち帰った様子でコレクター性が強いとでもいうようなものでした。 この家は学校のすぐ近くに位置しクラスでも話題になることもあり、当時は周囲が奇異の目で見ていたし、僕自身もそのような目で見ていた気がします。

再びゴミ屋敷

小学校中学年頃になると、ある程度大きくなったからか、母親が子供の面倒を見なくても大丈夫と判断したのでしょう、つちやのおばさんが来なくなりました。 この頃から汚れ始めました。 僕達が住んでいたゴミ屋敷は基本的に外にモノが置かれるということはありませんが、家の中はモノで溢れており、近所の人からの外見を気にしている様子がありました。 自分の住んでいるところがゴミ屋敷であると認識しつつも、羞恥心があり、家のドアは素早く開け閉めして他の人に見えないように生活していました。

ゴミ屋敷での生活

trashhouse1_3 学校から家に帰ると母親が仕事に行く準備をしており、見送ります。 早ければ夜10時頃に帰ってきますが、だいたいは夜12時や午前2時くらいでしょうか。 お酒を飲む人に付き合う仕事ですので、遅くなる時は明け方に帰ってくることもありました。 朝は母親が寝ている中、学校に行きます。 朝起きても帰ってきていないということもありました。 いまから20年以上も前ですが、このときのことを思い出すと今でもとても寂しい気持ちが蘇ってきます。

家事

コインランドリー 当時、母親が家事をしていることはほとんど見たことがありません。 いま思えば、母親が僕達に家事をするよう指示したことが一度も無いことに気づきます。 洗濯は日中行えないため、学校に着ていく服が無いときもあります。 小学校は制服でしたが、シャツやくつしたが洗濯できていないのです。 母親と前の日の夜や朝5時とか6時に家から20分くらいの距離にあるコインランドリーへ歩いて持って行き、その日に着る服を洗濯して乾燥させたこともあります。 冬の早朝にランドセルを背負って行き、コインランドリーの隅っこで着替えてそのまま登校したことを覚えています。 食事は基本的に毎日1人500円を渡され、近所のお弁当屋さんかスーパーのお惣菜を買って食べていました。 弟が低学年の時に料理に挑戦しようとしてボヤを起こして以来、火を使うことが禁止されました。 母が料理をしていることはほとんどありせんでした。 小学校では掃除の時間に掃除はするものの、僕達兄弟には家を掃除するといった概念を持っていませんでした。   生活ぶりとしては、映画「誰も知らない」(監督:是枝裕和、主演:柳楽優弥)の後半部分が近い感じです。 この映画は実在する「巣鴨子供置き去り事件」をベースにしたフィクションです。

この映画を見た時、子どもたちだけで住む部屋に既視感を覚えました。 (実際はもっと汚くなるはずだとも思いました)   長くなってしまったので今回はこのへんで…。 続きはこちら 僕はゴミ屋敷の住人(克服編)

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